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社員のつぶやき

2020.08.24

「人」として、生きていく

夏が来たぞとセミが鳴いている、そんな昼さがり。

筆者はカーペットに寝転んで本を読んでいた。

 

 

 

昼食をはさんで、ざっと4時間ほどだろうか。

読み終わった後、本をカーペットの上に置いてから数十分。動けなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

死ぬ、とは。

 

 

 

 

 

 

生きる、とは。

 

 

 

 

 

 

答えのない問いが血管を通じて全身にかけめぐる。

今回はそんな本を紹介したい。

安楽死特区」という本である。

 

 

 

書籍の詳しい情報はこちら

 

 

 

 

 

この本では、2020年に東京オリンピックが開催された後に不景気に陥った日本が舞台となっている。

その日本で安楽死が試験的に認められた「安楽死特区」をめぐる話である。

 

 

 

このブログを書いている段階でさえうまくまとまっていないのだが、なんとか大きく3つに分けて話をまとめてみようと思う。

 

 

 

 

 

 

・何をもって「人」であるか

 

以前は長生きこそ幸福と思われていたが、近年は「人間でいられるうち」に死にたいと思うように価値観が変わっているように感じる。

人間が人間であると判断できる材料は何か。

 

 

 

筆者は、自分の意思を持って判断、行動できるか、だと思う。

 

 

 

この本には、アルツハイマー型認知症の女性作家が登場する。

彼女は、「自分が自分でいられるうちに死にたい」と言っている。

 

 

 

認知症の症状や進行状態によってもさまざまだが、症状が進行すると以前の自分と比べると正しい判断ができなくっていく。

 

 

 

周囲だけでなく、自分自身も不安になる。

 

 

 

 

 

 

やがて、その不安すら分からなくなっていく。

 

 

 

 

 

 

そこまでして人は生きなければならないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

生きていると、言えるのだろうか…。

 

 

 

 

 

 

・選べない「死」

 

筆者がこのブログを書いている日本では、まだ安楽死が認められていない。

もし法で安楽死が認められたとしても、本人が死を選択できない大きな理由があると考えている。

それは、「つながり」である。

 

 

 

自分が死んだら周りが悲しむから生きている。

 

 

 

死にたいと言っても「生きて」と返される。

つながりが人を救うことはもちろんあるだろう。

しかし、現代の医学では救いようがない人たちは…?

 

 

 

登場人物の中に、多発性硬化症の男性が登場する。

筆者はこの人をめぐるやりとりが一番心にくるものがあった。

彼視点で物語が語られることがないからこそ、病に苦しみ安楽死を望む彼の心の内を知りたい。

 

 

 

彼は、生きていて幸せだったのだろうか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・遠ざかる「死」

 

医療の発達により長生きできるようになった。

人間の努力の賜物である。

 

 

 

ただ、普段は忘れがちだが、死はいつでもそばにいる。

当たり前に隣にいると思っていた人が、明日にはいないかもしれない。

 

 

 

いつか訪れる死のために、準備をしておくことも必要だろう。

どのように人生の幕を下ろしたいか、あなたは考えたことあるだろうか?

手術の要否や葬式の方法、それらについて意思表示をしておくだけでも、「残された人」は救われることがある。

 

 

 

 

 

 

以前、ある高齢者と出会った。

笑顔が絶えないが自分の意思をはっきり持った頑固な方で、自分が判断すれば身体に関する治療薬ですら拒否する。

 

家族はそれを理解しており、「あの人は何言っても聞かないからいいの。それで死んでもいいって本人は思っているみたいだから」とおっしゃっていた。

家族と一緒に美味しいものを食べている姿が印象的だった。

 

 

 

ある日、その高齢者が身体の機能の悪化で倒れてしまった。

 

 

 

その方は寝たきりで身体に管を通して帰ってきた。

笑うことはなくなり、苦しそうにしているか、ぼうっとしている顔しか見れなくなった。

 

 

 

あの高齢者の顔を、そのときの筆者の思いを、忘れることはないだろう。

 

 

 

そこまでして生きたいのだろうか。

「誰」が生きたいと思っていたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

あの日から、最後まで高齢者の家族を見ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この本を読んで、筆者はこの出来事を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筆者の読解力や説明力の不足で伝わりきらないかもしれないが、この本では、筆者が取り上げた内容以上に考えさせられるものがある。

 

 

 

ただ生きているだけではなく、自分の意思を持って、生きていく。

それが実現できる社会であってほしい。

 

 

 

戦争で人がバタバタと死んでいく時代は、歴史の教科書で学ぶ時代。

医療技術が進み、長生きできるようになった現代。

延命だけではない、新たなステージに進む時が来ている。

 

 

 

あなたはどんな人生を歩みたいか

どのように、人生の幕を下ろしたいか。

 

 

 

下ろせる力、判断できる力があるうちに考えておいてほしい。

それが、あなたと、あなたの大切な人たちを救ってくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筆者の祖父は、会うたびに細くなっている。

息が続かないからと数年前に畑仕事もやめている。

今は市役所に手続きへ行くときは貸し出しの車いすを利用しているらしい。

そんな祖父が「もう死にたい」と口に出したとき、筆者は受け入れられるだろうか。

 

 

 

 

 

 

偉そうに物申しているが、筆者はまだ理想に近づけそうにない。

 

 

 

 

 

 

珍しく真面目な内容でしょ?

本の写真撮るの忘れました、おばかさん!

 

 

 

そんなこんなの今回です

次回も、何卒(°∀° )